部屋中にピアノの音と私の歌声が響く。
我が家はどうも音楽家の親戚が多いの。
お母さんも作曲家として結構有名だったりする。まぁ・・・ポップスだけど。
お父さんはバイオリン奏者としてオーケストラに所属してるし・・・。
私も小さな頃から色々習わされた。
ピアノ、バイオリン、フルート、声楽、楽典・・・。
そのためか、我が家には練習室のような音楽ルームがあるの。
完全防音で、ピアノがあって、楽譜の棚がどんっとある。
お母さんの使う電子機器はまた別の場所にあるんだけどね。
「うん、いいんじゃん?音も完璧にとれてるし・・・」
「ほんと?大丈夫だった?初めての歌だから心配なんだー」
「全然。伴奏とも合ってるし。さすが“天使の歌声”ですこと」
「?」
「あれ?海輝、きいたことない?海輝の歌、“天使の歌声”って呼ばれてるの」
「し、知らないわよ」
「へぇ・・・ピアノ科だけかな?それとも影のウワサかな?」
「天使・・・ねぇ・・・そんな年でもない気がするんだけど・・・」
「歌声に年齢なんてカンケーないんじゃん?ま、わからなくもねぇけど。
海輝の声綺麗だから」
朗が譜面台にもたれかかって言った。
私が天使の歌声?
それは違うわね。だって、天使じゃないもの。
「あら、天使の歌声、だなんて失礼だわー」
「ん?何で?」
「だって、私の声は天使じゃなくってよ?」
「?」
「これは人魚の歌声」
「人魚・・・?まぁ、人魚姫も歌が上手いっていうし、間違ってはいないだろうけど・・・。
なかなかそーゆー表現、聞いたことないなぁ」
「そうじゃなくって」
「はい?」
「ホントだったらどうする?」
「え?ホントって、何がホント?」
「私が人魚だったらどうする?」
「・・・・・・は?」
「だからっ、私、人魚なのよ」
「・・・・・・」
一瞬、空気が止まった気がした。
言っちゃった。言っちゃった。
なんか流れに乗って言っちゃったわっ。
「あははは!冗談っ。人魚なんていねーって!」
朗がケラケラと笑い出した。
んもう・・・信じてない・・・。
まぁ、これで信じちゃうほど純粋な人じゃないとは思うけどね。
逆にこれで信じたら怪しいわ。
でも、私が人魚だっいうのは本当。
塩水にしか反応しない、とても便利な血筋なんだけど・・・。
水やお湯に対して人魚になってしまうことがないぶん、安心だけど・・・。
とりあえず、真珠だけは一粒、ピアスにして身につけてるの。
もしも、の時がないように・・・。
それに、私のしっぽは藤色。とっても綺麗な色だから気に入ってるの。
真珠も素敵な色だしね。おかげでニセモノだと思われるけど・・・。
「ったく、海輝も冗談がうまくなったなぁ」
「冗談じゃないって言ったらどうする?」
「・・・・・・マジ?」
「幸い、塩水以外はフツーに人間として過ごせる人魚なんだけどね。
ホントよ?」
「・・・・・・海輝が人魚?まっさかー・・・」
「ま、信じてくれるとは思ってないし。いつか信じてくれればいいわ」
「・・・人魚ってマジにいるの?」
「いるよ。世の中15%くらいは人魚の血が混ざってるって言われてるんだから。
フツーの人間として暮らしていける体質の人の方が多いらしいけど」
「へぇ・・・」
「信じた?」
「んーーーーー・・・・・・2割くらいな。実際に見たら信じることにするよ」
「・・・いつか、ね」
「ふうん・・・・・・ま、いっか。海輝は海輝なんだし」
「え・・・」
「歌ってくれるだろ?」
トントンっと楽譜を指で叩きながら朗がニッと笑って言った。
嬉しい・・・。否定はしないでくれるんだね・・・。
100%信じてくれなくても、なんだか嬉しくなる。
こうやって、ふんわりと、私のことを受け入れてくれるんだね。
「もちろん・・・歌うわ」
ぎゅっと後ろから抱きついた。
「おいおい、海輝?」
「ありがとう・・・朗」
「?」
「大好きだよ」
そっと、呟いた。
「・・・おれもだよ」
するっと腕をほどいて、とんっと定位置に戻る。
「ねえ、朗っ。Per la gloria 弾いてっ」
「どうして?」
「私のキモチ!」
「・・・?」
「いーからっ。あとで訳詞見ておいてっ」
「はいはい」
パラパラと朗が楽譜をめくっていく。
一呼吸置いて、朗が前奏を弾き始めた。
この歌はメロディーも歌詞も伴奏も大好きなの。
『お前を讃える栄光のために
私はお前を愛したい、いとしい瞳よ。
愛すれば苦しむだろう。
しかし苦しみながらもお前を愛し続けよう。
喜びを得る望みも無く
溜め息をつくのは虚しい愛情だ。
しかしお前のやさしい眼差しに見とれながら
誰がお前をあいさないでいられようか』
オペラは過剰な表現をするものが多い。
そして、愛を歌う歌が多い。
訳詞を見ておかしくなっちゃうようなものもある。
この歌から私が感じるのは“どんなことがあってもあなたが好きです”っていうメッセージ。
ねぇ、そう思うでしょう?
「やっぱ上手いなぁ、人魚さん」
「それはありがとう」
ねえ、伝わった?
朗のことが好きっていうキモチを込めて歌ってみたの。
世界でたったひとつ、あなただけのために歌ったのよ。
パラパラと朗がおもむろに楽譜をめくりはじめた。
なに・・・?
「海輝、じゃあ、これも歌って」
ゆっくりと朗が前奏を弾き始めた。
「Star vicino?」
「そう。おれのキモチ。歌って」
「・・・いいわ」
すうっとブレスを整えて歌い始める。
この曲も大好きな曲のひとつ。
『愛する美しい偶像の側にいることは
一番素すばらしい愛の歓びだ。
恋いこがれる女 から離れていることは
一番つらい愛の苦しみだ。』
「ふう・・・」
カタン。朗がピアノの前から立ち上がって、私の側まできた。
「いかがでしたか?」
おどけて聞いてみる。
「・・・マジで良い声してるよ、海輝は。天使だろーと人魚だろーとどっちでもOKなくらい」
「ありがとう。・・・朗のピアノ、好きよ。すごく歌いやすいし・・・ソロとしても好き」
「それはそれは」
「ねえ、じゃあ、今度は私からリクエストしていい?」
「ん?」
「『月の光』弾いて」
「ドビュッシーの?」
「そう。大好きなの」
「いいよ。おれも好きだし」
朗がピアノの前に戻って、譜面台を倒した。
もう暗譜しているくらいに弾けるのね・・・。
ピアノの上にひじをついて耳を傾ける。
澄んだメロディー。澄んだ音。流れる時間。
音楽は時間。一秒たりとも奏でた後には戻ってこない。
やり直しはきかない。そして、同じ演奏は二度と出来ない。
いま、ここにいて聴いている人しか、知ることが出来ない、最高の時間。
私は音楽が好き。特別な時間をくれる、音楽が好きよ・・・。
ねぇ、私、大好きな人たちに聴いて欲しくて練習してるの。
あなたと練習できるのが嬉しくて練習するの。
あなたに聴いて欲しくて・・・あなたと歌いたくて・・・。
人魚姫は愛する人のために、自らの声と引き替えに脚を手に入れた。
けれど、愛する人のためには歌えなかった。美しい声を失っていたから。
私には声がある。
だから、この声で愛する人たちのために歌を歌うわ。
この、人魚の歌声で―――。
** Fin **
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