***放課後

「えっ、綾ちゃんが聖夜君のとこに行ったの!?」
「うん」

いつも会う曜日ではなかったけど、【これからアトリエで会えないか】っていうメールが聖夜君から届いて、 何かあったかな?と思いながら鳥籠カフェまで足を運んだ。
そこで、部活の終わり頃に綾ちゃんがわざわざ美術部まで来たんだ、ということを聖夜君から聞かされた。

「な、なんで・・・」
「まあ・・・たいした用ではなかったんだけどさ」
「な、何か言ってた?」
「そうだな・・・言ってたといえば言ってたし、そうでもないといえばそうでもないし・・・」
「どっちなの」
「簡単に言うと、“クリスマス・イヴの日のまりんは可愛かったか”ってきかれた」
「・・・・・・え」
「それだけ」
「そ、それだけ?」
「うん」

そう言うと、聖夜君は組んでいた腕を組み替えた。
いつもは絵を描きながら話す聖夜君だけど、今日は窓辺の定位置に立つあたしの隣に立っている。
じっと、聖夜君があたしのほうを見ながら話をする。
ただ、それだけのことなのに、慣れなくてどきっとしてしまう。
そういえば言ってたっけ・・・“描いてるときの方が見てない”って・・・。

「そっか・・・。あの日のスタイル監修は綾ちゃんだったからなあ。気にしてたのかな」
「まあ、そういうことでもあり、そういうことじゃない」
「よくわかんないんだけど」
「つまり、なんだ・・・おれは言葉が足りないんだ、って言われた感じだな」
「・・・そうかなぁ・・・?」
「そうやって流すところ“まりんらしい”とも言ってた」
「えっ?え??」
「だから、よろしくって」
「あ、綾ちゃんってばぁ〜・・・ふたりで何の話してたのよう」
「おまえの話」

コツン、と聖夜君があたしの頭を小突いた。
あたしのいないところで、あたしの話・・・。
しかも、内容がいまいちよくわからない。
クリスマスの格好が可愛いかったか。
聖夜君は言葉が足りない。
あたしは流してる。
だから、よろしく?
・・・きっと、あたしには話したくない事とかも間にはさまってたんだろうなあ・・・。
聖夜君は照れ屋さんだから、「可愛かったか」なんてきかれても、「可愛かった」とは言わなかっただろうしね・・・。
そういうところから、言葉が足りない、になるんだろうけど・・・。
聖夜君は言うことは言う人だと、あたしは思ってる。
全然、足りてない、とは思ってない。

「まあ、明日になれば高木さんが言うだろうって思ったんだけどさ。おれから先に言っておこうと思って」
「そっか・・・それでわざわざメールくれたんだ。一体何事かと思ったよ」
「ごめん。でも、それだけじゃなくて」
「えっ、まだ何かあるの?」
「・・・おまえの話してたからさ、単に・・・会いたくなったっていうか・・・」

そう言ってから、聖夜君がふいっと顔を背けた。
ああ・・・そっか。
綾ちゃんが“言葉が足りない”って言ったから、言ってくれたんだね。
いつもの聖夜君なら、会いたくなっただけ、なんて言わないもん。
照れるから。
そんな姿が微笑ましくて、言ってくれたことが嬉しくて、思わず笑みがこぼれる。

「・・・悪い、慣れない」
「いいよ。わかってる。ありがとう」
「いや・・・うん。でも・・・」
「ん?」
「・・・・・・悪くはないな」
「?」

悪くはない?
何がだろう・・・。
その言葉が意図しているところがわからなくて、思わず、じっと聖夜君を見つめてしまう。
相変わらずあたしの方から顔をそらしてはいるけど、視線はこっちを向いてる。

「・・・そんなに見られると、ちょっと恥ずかしいんだけど」
「えっ、あ、ごめん!」
「いや、悪いって言ってるわけじゃないんだけどさ・・・」
「・・・なんか、間にスケッチブックがないのって、恥ずかしいね」
「何でそうなるんだ」
「だって!・・・・・・さっき、そう思ったんだもん・・・・・・」

あたしと、聖夜君。
その間にあるスケッチブックやキャンバス。
それが、いつものこと。
描かないのに見つめられると、目的がなくて・・・ただただ、あたしのことを見つめているっていうことになる。
それが、気恥ずかしいと思った。

「まあ・・・確かに・・・そういう場面の方が多かったからな・・・・・・」
「でしょう?!」
「でも、おれは描いてないときの方が、おまえを見てるって。だいたい本読んでるから、気付いてないんだろうけどさ」
「う・・・そっか・・・」

聖夜君は、本を読んでいるあたしを見てて、あたしは、絵を描いている聖夜君を見てる。
同じ場所にいても、近くにいても、視線は一方通行だったんだね。
だから、こうやって、何も隔てるモノがないと、恥ずかしくなるんだ。

「今度から、気をつけます」
「は?何を?」
「え、あ、だから、えっと・・・・・・」
「別にいいよ。おれはさ、本読んでるとこが好きだし」
「!・・・あたしも、絵描いてるとこ、好き・・・」
「問題ないじゃん」
「でも・・・・・・これじゃ、ずっとすれ違いだよ」

本を読んでるあたしは、聖夜君を見てない。
絵を描いてる聖夜君を見てるあたしを、聖夜君は見てない。
ずっとずっと、一方通行。
寂しいわけじゃない。
不満があるわけじゃない。
居心地だっていい。
だけど・・・でも・・・これじゃ、ちょっと嫌だなって思う。

「・・・ああ、そうか。だからデートってものがあるんだな」

少し考えこんだあと、聖夜君が言った。
デート?
どうしてそこに繋がったんだろう。

「ほら、前に兄さんに【デート中悪い】って言われた時に、これはデートじゃないんじゃないかって話、したじゃん」
「う、うん」
「おれたちにとっては特別じゃないから、そうじゃないんじゃないかって」
「言ったね」
「おれたちにとっての【特別】ってさ、つまり、本とかスケッチブックとか、 そーゆーのが関係してない時ってことなんだろうなって。でもさ、それって結局【ここじゃないどこか】に行かないと実現しないんだ」
「・・・そう、だね。でも、じゃあ、今はデートなの?」
「・・・そうかも、な」

特別な時間じゃないけど、特別な時間。
聖夜君のことしか考えない時間。
ふたりでいる時間。
それは、とても、嬉しい時間ね。

「あたし、デートってちゃんと意識したことなかった」
「おれもない」

夏に海に行ったときも、クリスマスに出かけたときも、特にデートだ、とは思ってなかった。
なんだかココに二人でいれることが嬉しくなって、そっと聖夜君の肩にもたれかかる。
ああ・・・この距離を特別っていうんだ。
いつもは、絶対にありない距離。
触れられるほど、近くにいるという距離。

「ど、どうした」
「何でもない。何でもないの。ただ、聖夜君が隣にいて嬉しいだけなの」
「っ・・・」
「近くにいるのが、嬉しい」
「・・・・・・まりん」
「ん?」

そっと、聖夜君があたしの肩を抱きしめる。

「おれには、何でも言っていいから」
「え?」
「わがまま、言っていいから」
「・・・・・・」

いつになく真剣な声で聖夜君がゆっくりと言った。
あたし・・・特に何か我慢とか・・・してるわけじゃないんだけどな・・・。

「・・・じゃあ、キス、してくれる?」

この雰囲気がむずがゆくて、誤魔化すように笑いながら言った。
何を言ってるんだ!って言ってくれると思ったから。
そしたら、冗談だよって言えると思ったから。
でも

「・・・いいよ」

という言葉が返ってきた。

「えっ・・・」
「まりんが、したいなら」

抱き寄せていた肩を引き寄せて、聖夜君があたしのことを胸の中に閉じ込めた。
予想外のことに、思考が一瞬停止する。
あたし・・・っ。

「・・・どうする?」
「っ・・・あの、その・・・・・・」

自分でキスしてって言ったのに、どうしようもないくらい動揺してる。
だって、こんなの、予想してなかったから・・・!
なんて言ったらいいのかわからなくて、目の前にある聖夜君の服をぎゅっと握りしめる。
そんなあたしのことを知ってか知らずか、聖夜君がそっと髪を撫でた。

「まりん」

そんなに至近距離で呼ばないで・・・!
心臓がうるさいくらい鳴ってる。
頬が熱い。
あたし、なんであんなこと言っちゃったの・・・っ。

「・・・ごめんなさい」
「なんで謝るのさ」

そっとあたしの肩をとって、聖夜君が距離を作る。
そして、少しかがんであたしと目線の高さを合わせた。
あたしの頬にかかる髪を払うように、ふわりと聖夜君が触れる。
もう、逃げられない。

「・・・あたしの負け」
「?何か賭けてたっけ?」
「ううん・・・そうじゃないけど・・・でも、あたしの負け」
「ふうん・・・それで?」
「え?」
「キスしてっていうのは?」
「・・・・・・・・・」

したくない、わけじゃない。
でも、してほしいっていう・・・わけじゃない。
だけど、こんなに近くにいたら、期待してしまう。
触れてくれるんじゃないか、と。
してくれるんじゃないかって。

「その・・・聖夜君、は?」
「は?」
「その・・・無理には、嫌っていうか・・・」
「まりん」

そう、優しく名前を呼んで、聖夜君はあたしの頬をひと撫でした。
心臓が壊れそうなくらい、どくんどくんって鳴ってる。
いつもより少し真剣な・・・まるで絵を描いている時みたいな瞳で、聖夜君があたしを見てる。
まるで、クリスマス・イヴの日みたいな・・・。

「おれは・・・したいよ」
「っ・・・」
「言っただろ?近くにいたら、触れたくなるって・・・一人占めしたくなるって」
「・・・う、ん・・・」
「それはさ、別にあの時だけじゃないから」
「・・・・・・うん」
「所詮、おれもただの男なんだよ」
「・・・?」
「ふたりの時は我慢しなくていいって言ったよな」
「・・・言った」
「じゃあ、我慢しない。それに、おまえが言ったんだしな」

ふっと軽く口の端を持ち上げて笑うと、僅かな距離をつめて、優しいキスをした。
甘い眼差し。
甘い吐息。
あたしに触れる手の温度すら、とろけるように甘く思えてくる。
少しこわばったあたしの背中を、聖夜君が包み込んだ。

「・・・聖夜君」

そっと、あたしも聖夜君の顔に手を伸ばす。
でも、本当に触れてもいいのか、って一瞬ためらった。

「いいよ、触って」

優しくそう言うと、聖夜君はゆっくりとひとつ瞬きをした。
長めの前髪にそっと触れてみる。
普段は絶対に、触れられない。

「・・・サラサラ」
「男には褒め言葉にならない」

それから、ゆっくりと壊れ物に触れるみたいに、聖夜君の頬に触れた。
ああ・・・そっか・・・。
聖夜君があたしに触れるときに、いつも優しくゆっくり触れてくれるのは、こういうことだったのか・・・。
好きだから、大事だから。
やさしく、ゆっくり、その存在を確かめるように触れるんだ。

「まりん?」
「ううん、何でもない。嬉しいの」
「まただ、その台詞」
「え?」
「さっきも言ってた」
「あ・・・。他になんていったらいいのか・・・・・・」

ただただ、嬉しいの。
こうして近くにいることが。
手を伸ばして触れられるのが。
聖夜君がやさしく触れる理由がわかったことが。
ただ、嬉しくて、満たされてて・・・・・・ああ、そうか・・・きっと・・・

「幸せって、きっとこういう時に言うんだね」

あたしのその言葉に、一瞬驚いたような表情をしてから、聖夜君はぎゅっとあたしのことを抱きしめた。

「ああ、そうだな」

特別なことじゃないんだ。
でも、すごく特別なことでもあるの。
だって、聖夜君のこの距離を感じられるのは、あたしだけなんだから。
この距離を幸せだって言えるのは、あたしだけなんだ。
それが・・・聖夜君もそうだといいと思う。
あたしが聖夜君の特別で、幸せだといいと思う。
傲慢だけど、そう思った。



「そうだ、今月の日曜で暇な日ってある?」
星がきれいに瞬く中、ひんやりと冷え切った空気を感じながら、家までの道を並んで歩いていると、聖夜君がふいにそう言った。

「どこも特に予定はないけど・・・どうして?」
「この間さ、美術館でやってる西洋美術の特別展示の優待券もらったんだ」
「美術館・・・」
「一緒に行かないか」
「え・・・」
「・・・あ、でも美術館なんて興味ないか」
「そんなことないよ!あたし描けないけど、見るのは好きだもん!」

正直に言うと、美術館なんていう本格的な場所には行ったことがないし、特に行きたいというわけじゃない。
見るのは好き、というのは本当だけど、詳しい知識なんてさっぱりない。
西洋美術、なんて言われても、本当に超有名なものしかわからないくらい。
美術の成績だって平均点レベルで、とても上手だなんて言えないレベルだけど・・・。
聖夜君が好きなものを見てみたい、と思った。
それに・・・

「・・・つまり、デート?」
「・・・うん。どう?」
「行く。行きたい。でも、あたし初心者だからね」
「美術館に行くのに初心者も何もないって。じゃあ、来週で良い?会期今月中なんだ」

一瞬、“かいき”って何だろう・・・って思ってしまった。
きっと、開催期間ってことを言うんだろうな・・・うう・・・美術用語、少しは勉強しようかな・・・。
そういえば、あたし道具の名前もさっぱりわかんないや・・・。
水彩色鉛筆も知らなかったくらいだもんね・・・。

「大丈夫?」
「だ!大丈夫!!来週の日曜日ねっ」
「よし」
「・・・美術館って、服装とか決まりあるの?」
「あはは!そんなのないって!まあ、確かにオシャレしてるおばさんとか多いけど、別に決まりなんてないって。普通でいい」
「そ、そっか。なんか美術館って敷居高くって」
「ああ、でも、美術館内って空調整備されてるし、特別展とか人が多いから、厚着するとやばい」
「なるほど」
「それから、写真は基本的にNG。メモとかは持ち込みOKだけど、ボールペンやシャーペンは禁止」
「えっ、筆記用具ダメって事!?」
「鉛筆が原則。写真はダメだけど、模写とかはしてもいいんだ」
「なんか色々あるんだね・・・」

メモはとってもいいのに、鉛筆だけとか・・・色々あるんだ・・・。
・・・・・・あたしには、いったいなにをメモるのかすら、わからないけど・・・・・・。
絵を見て・・・感想文書くとか?
大学生のレポートとか・・・?
模写は・・・なんとなくわかるけど・・・。

「まあ、行って見るのが一番わかりやすい」
「わ、わかった・・・なんか間違ってたら言ってね?」
「別に、そんなお堅い場所でもないってば」

そんなこと言われても、美術館っていう響きだけで、十分にお堅い場所なイメージなんだもん・・・!
クラシックのコンサートみたいな、そんな感じ。
でも・・・デートで美術館っていうのも悪くないかなって思った。
それに、聖夜君らしいな、とも思う。
映画とか遊園地とか、そんな場所より、ずっとずっと、聖夜君らしい。
デート。
特別なふたりの時間。
今日も放課後デートみたいな感じだったけど・・・一日ずっと一緒の方がデートって感じなんだろうなって思った。
よく考えてみたら、夏に海に行ったときも、クリスマスも夕方から数時間しか一緒にいなかったし、今日だってそうだもんね。
一日ふたりきり、ってなかったんだ。

「一日デート、初めて、だね」
「・・・・・・・・・ああ、そうか、一日一緒って、今までなかった」
「うん」
「・・・おれたちってさ、つきあって半年くらい、だったよな・・・」
「8月からだから・・・そうだね」
「・・・・・・何か色々順番おかしくないか」
「別に順番なんてないんじゃない?」
「いや、でも、まともにデートしたことないとか」
「あたしたちインドア派だからね・・・」
「それを言われたら何も言い返せない」
「事実だもん」

世間一般で言うところの「デート」がまだでも、その分、あたしたちは二人で過ごしてきた時間があると思う。
一緒にいたと思う。
近くにいたと思う。
順番がどうとかじゃないんだよ。
恋人なことにはかわりないでしょう?

「楽しみだね」
「・・・色々考えておく」
「うん」