「今日はカフェは休みなんだ。クリスマスだから来る人いないだろうって」
「え、じゃあ入れないんじゃ・・・」
「鍵、持ってる」
「そっか、そうだよね」
「だから、ちょっと最初は寒いかもしれないけど、ごめん」

そう言いながら、聖夜君がカフェの扉の鍵を開けた。
明かりのついていないカフェはしんと静まりかえってて、いつも来たときに感じる木のぬくもりもひやりと落ち着いてた。
聖夜君と一緒にアトリエに上がると、久しぶりにかぐ絵の具のニオイが鼻についた。

「適当に座ってて。今ストーブつけるから」
「うん」

コートを脱ぐと、部屋の空気の冷たさがじんわりと伝わってきた。
手早く持ってたキャンバスを片付けて、部屋の隅にあるストーブのスイッチを入れると、聖夜君がコートをハンガーに掛けて吊してくれた。
クリスマス・イヴなのに・・・ここには街の楽しい雰囲気なんてウソみたいにない。
窓から外を見てみても、浮かれた雰囲気なんて目に入らなかった。

「あ、そうだった」

今日はクリスマス・イヴ。
聖夜君の誕生日。
鞄から小さな包みを取り出すと、ずいっと聖夜君の前に差し出した。

「聖夜君、誕生日おめでとう」
「え・・・あ、ありがとう」
「あたし、男の子が喜びそうなものなんてよくわからないから・・・その・・・なんてことないものになっちゃったんだけど」
「開けても?」
「どうぞ」

プレゼントは小さなスケッチブックと、小さなトートバッグ。
聖夜君と言えば、これしか思いつかなかった。
実は事前に“何が欲しい?”って聞いてみたりもしたんだけど・・・特にないって言われちゃったんだよね。

「スケッチブック・・・!ははっ、おれのことよくわかってる」
「聖夜君は画材かなって」
「だよな・・・嬉しい。サンキュ」
「・・・あのね、聖夜君」
「ん?」

近くのテーブルに聖夜君がスケッチブックを置く。
大きなキャンバス、クロッキー帳、水彩紙、その中に置かれたスケッチブックがとても小さく見えた。
とんとん、っと数歩、あたしのほうへと歩み寄ってくれる。

「あのね・・・聞きたかったことが、あるの」
「何?」
「・・・・・・カン違いだったら、ごめんなさい。・・・聖夜君、あたしに会うの、避けてた?」
「は・・・?」
「だって、ずっと・・・会えなかったでしょう・・・?試験の日にうちのクラスに来たときも、あたしに会うつもりはなかったんだよね・・・?」
「・・・・・・・・・」
「あたしに会いたくなかったって・・・ことなの?」
「違う」
「でも」
「そうじゃないんだ。そうじゃなくて・・・・・・」
「じゃなくて?」
「・・・・・・」

考えてた。
あの日の聖夜君のこと。
会いに来たとは言ってくれなかった日のこと。
それはつまり、会いたかったわけじゃないってことでしょう・・・?
その後も、一度も、聖夜君はあたしに会いに来なかったし、あたしが行っても会えなかった。
ねえ、それって、避けてたの・・・?
聖夜君が言葉に詰まって、少し下を向く。

「・・・あたしは、会いたかったよ」

そっと、口に出した言葉。
誰にも、言ってなかった言葉。
言ってしまったら、あたしのなかの何かが外れてしまう気がしてたの。
でも、綾ちゃんが言ってくれた。
“会いたいって言っていい”って。
その権利を持ってるって。
だから・・・。

「あたしは、聖夜君に会いたかった」
「・・・・・・」
「ずっと・・・寂しかったんだよ」

そう音にしてしまったとたん、急に胸が苦しくなって、ぎゅっと唇をかみしめた。
言葉にしたら、音にしたら、もう戻れない。
否定することも、隠しておくことも、誤魔化すこともできない。
自分にも、聖夜君にも・・・。

「まりん・・・」
「聖夜君は、会いたいって・・・寂しいって思わなかった?」
「っ・・・」

ぽろっとふいに、涙がこぼれた。
やだ、泣きたいわけじゃないのに・・・!
泣いて、それで、優しい言葉をかけてほしいわけじゃないのに・・・!

「ごめん、泣くなんて、ずるいよね・・・ごめん・・・っ」

そう言うけど、言葉に反して涙は止まってくれようとしない。
見られたくなくて、パッと手で顔を覆った。
ずっと、こんな風に泣いたことなんてなかったから、どうしたらいいのかわからない。
あたしはきっと、自分で思っているよりも、聖夜君に会いたくて、寂しかったんだ。
自分で思ってるよりも、ずっと聖夜君が好きなの。

「・・・まりん、ひとつ、お願いがあるんだ」
「な、に?」
「・・・抱きしめても、いいか」

そう言って、聖夜君がそっと手を伸ばしてあたしの涙を拭った。
抱きしめてもいいか・・・?

「どうして、そんなこと聞くの・・・?あたしが・・・」
「・・・・・・」
「あたしが、聖夜君のこと好きだって・・・わかってる?」
「・・・うん」
「じゃあ聞かないでよ。あたしがっ・・・断るわけないでしょう?」
「・・・ああ」

そう短く言うと、聖夜君はあたしの腕をひきよせて、ぎゅっと背中に腕を回して抱きしめた。
じんわりと抱きしめられたぬくもりが伝わってくる。
胸にこみ上げた思いが言葉にならなくて、そのまま涙になった。
まるで、子供がすがるかのように聖夜君の胸にしがみつく。

「泣かせるつもりなんてなかったんだ。ごめん・・・」
「・・・どうして会わないようにしてたか教えて・・・」
「・・・まりんが好きだ。好きなんだ」
「・・・・・・」
「会わないようにしてたわけじゃないけど・・・会おうとしてなかったのは・・・その・・・」
「なに?」
「一緒にいて、近くにいたら・・・触れたくなる。抱きしめたくなる。どうしようもなく・・・一人占めしたくなるから」
「・・・・・・」
「だから、少し落ち着こうと思って、距離をとってた。でも・・・それでおまえを不安にさせてたら意味がないな・・・ごめん」

そう言うと、聖夜君はさっきよりも強くあたしのことを抱きしめた。
触れたくなるから、距離を置いた・・・?
そんなの、してほしくない。
嬉しくない。
だって、今、こうしている方が、嬉しい。
少しだけ距離をとって、聖夜君の顔を見る。
なんて・・・申し訳なさそうな表情。
・・・あたしが泣いちゃったからだね。
そっと、右手で聖夜君の頬に触れた。

「・・・聖夜君、あたし・・・触れちゃ嫌だなんて言ったことないよ」
「ああ」
「つきあってるって・・・一人占めしていいってことでしょう?」
「・・・そうだな」
「あたしだって・・・聖夜君のこと一人占めしたい。抱きしめられて、嫌なわけない。聖夜君、あたしの気持ち無視しないで」
「・・・・・・ごめん。そうだな・・・。でも、ほんと・・・まりん、おれ・・・」

コツン、と聖夜君の額があたしの肩口にあたる。

「おまえのことが好きなんだ」

その声と言葉に、喉の奥がきゅうっと熱くなるのを感じた。
ああ・・・聖夜君は本当にあたしのことを想ってくれてて・・・大事にしてくれてるんだね・・・。
だから、こんな簡単なことで悩ませてしまってたんだ。

「・・・ありがとう。あたしも、聖夜君が大好きです」

そっと背中に腕を回して、抱きしめた。
こんな言葉しか言えないけど、伝わって欲しい。
聖夜君の気持ちが嬉しい。
聖夜君のことが好き。
だから、悪い事なんて何もないって。
気付いて。

「聖夜君、今度からは隠さないで。したいこと、我慢しないで」
「・・・・・・」
「そりゃ、たくさん人がいるとことか、人前でとかは・・・恥ずかしいけど・・・・・・ふたりの時に我慢する事なんてないよ」

聖夜君がそっと身体を起こして、視線をあたしに合わせる。
たった、それだけなのに、心臓が軽くジャンプした。

「たとえば、今とか?」
「・・・うん」
「まりんはさ・・・どこまでわかって言ってるの」

聖夜君は、そっとあたしの髪を一房すくいとると、その毛先にキスをした。
まるで本の中のような仕草に、ますます心臓が跳ね上がる。
どくどくと小刻みに動き出した心臓がうるさく感じる。

「触れていいって、どこまで?」
「どこって・・・その・・・」
「髪は?頬は?手は?」
「・・・・・・嫌だったら、ちゃんと、言うよ」
「じゃあ、キス、してもいいのか」
「っ・・・」

その言葉に思わず瞳を上げると、聖夜君の瞳と至近距離でぶつかった。
遊んでるわけじゃない。
真剣な瞳。
絵を描いているときと同じ。
左胸を心臓が痛いくらいに打ちつけてるのがわかる。
少し期待してる気持ちがある。
この、わずかな距離を埋めてしまいたいと・・・思ってる。

「まりん?」
「・・・っ・・・ずるいよ、言わせるの・・・?」
「わかった」

そう言うと、聖夜君はコツンと額と額をこすりあわせた。
ひとつ、ゆっくりと瞬きをして、そっと頬に触れて、それからあたしの額にゆっくりとキスをした。
そのひとつひとつの仕草に、息が止まってしまいそうなほど、胸が詰まる。
それから

「まりん」

そう、甘くひとことあたしを呼んで、少し微笑んでから、くちびるにキスを降らせた。
短く、ふわりと。
「・・・聖夜く・・・っ」

あたしの声を飲み込むように、聖夜君がまたキスをする。
何度も、何度も。
だんだん、長く。
その甘さにくらくらして、
その愛しさに泣きそうになって、
息をするたびに名前を呼びたくて・・・。
叶わない想いをこめるように、ぎゅっと聖夜君の服を握りしめた。

「・・・だから言ったんだ。一度触れたら・・・止められなくなりそうだったから・・・」

何度目かのキスのあと、聖夜君が大きく息をついて言った。
すこし押し殺したような声に、思わず息をのむ。

「ごめ」

口にされそうな謝罪の言葉を、人差し指を聖夜君の唇の前にかざして止めた。

「今日はもう、“ごめん”は聞きたくない」
「・・・・・・」
「嫌だったら言うから・・・・・・ね?」
「・・・ありがとう」
「あの・・・こんな時に聞くことじゃないと思うんだけど・・・」
「何?」
「・・・聖夜君は、その・・・前に彼女とかいたの?」
「はあ!?・・・・・・・・・いないよ。そんなのいない」

聖夜君がそっとあたしのことを抱き寄せて、胸の中に閉じ込めた。
まるで、顔を見られたくないみたいに。
こうしていると、聖夜君のドキドキが伝わってくる。
速い鼓動。
でも、それはあたしも同じ。

「まりんが初めてだ」
「・・・あたしも、聖夜君が初めて」
「だから・・・どうしていいかわからなくて困ってるんだ」
「どうして困るの?」
「・・・こんなに誰かを好きになったことがない」

ぎゅっと聖夜君がさっきよりも強く抱きしめたのがわかった。
少し、苦しいくらいに。
でも、それも、聖夜君の想いなんだね・・・。
こんなに誰かを好きになったことがない。
それは、あたしも同じなんだよ・・・。
初めて同士、きっと、知らない事がたくさんあるね。

「まりん」
「はい」
「まりん・・・」

返事をする代わりに、そっと聖夜君にすり寄る。
こんなに近くにいるのは初めてなのに。
こんな風に抱かれるのは初めてなのに。
どうしようもなくドキドキしてるのに。
どうしてかな・・・安心する、なんて思ってる。
あったかくて、少し苦しくて、でも、その苦しさすら愛しいだなんて・・・。

「聖夜君・・・」

そっと、聖夜君が髪を撫でてくれたのがわかった。
たったそれだけのことが、今、すごく嬉しくて、さらに心臓がドキドキする。

「まりん」
「っ・・・」

耳元でささやかれて、背筋がぞくぞくした。
そ、そんなの反則だよ・・・っ。
思わず、ぎゅうっと聖夜君のシャツを握りしめる。
恥ずかしくて、嬉しくて、どうしたらいいのかわからない感情がぐるぐるしてる。

「まりん?」
「・・・何でもない」

シャツを握りしめたのがわかったのか、聖夜君がゆっくりとふたりの間に距離を取った。
やだ、今、あたし、きっと真っ赤だよ・・・。
見られたくなくて、つい、ふいっと斜め下を向く。

「・・・あんまり、顔、見ないで」
「どうして」
「きっとすごく・・・赤いもの」
「嫌だ。こっち向いて」
「いじわる」
「まりん」
「〜〜〜〜〜・・・」
「まりん」

何度もあたしを呼ぶ声に、しぶしぶ顔を上げた。
目があうと聖夜君が、普段滅多に見せない満面の笑みを浮かべる。
ああ・・・もう・・・ずるいよ・・・!
そんな笑顔見せないで。

「きゃっ」
「まりん!?」

一歩後ろに下がろうとしたとたん、脚がもつれてバランスを失ってしまった。
動揺したせいなのか、普段はき慣れない少しヒールのある靴のせいなのか、どちらなのかはわからないけど・・・。
聖夜君がとっさにあたしのことを支えて、一緒にゆっくりと床に座り込む。

「ご、ごめん・・・その、慣れなくて・・・」

なんだか恥ずかしくなって聖夜君の腕にしがみついた。
もう・・・なんでこうなっちゃうの・・・。

「靴?痛いのか?」
「ううん、大丈夫。その・・・うん、へーきだから」
「何か椅子とかに・・・」
「いい、このままでいい」

立ち上がろうとする聖夜君を引き留めるように、ぎゅっと服の裾をつかんだ。

「でも、服汚れちゃうだろ。せっかく可愛くしてるのに」
「かっ・・・・・・」

可愛い、とか、何で今言うの・・・っ!?
そんな言葉、ほとんどきいたことなくて、さらに動揺してしまう。
ただでさえ速まった鼓動が、もう言うことをきいてくれない。
聖夜君が、“可愛い”とか・・・っ。
嬉しいやら驚きやらで、握った裾をもっと強く握りしめてしまった。

「・・・まりん?」
「ここで、いい、から・・・その・・・側にいて」
「・・・・・・・・・わかった」

そう言うと、渋々といった具合で聖夜君があたしの正面に座り込む。
ああ・・・部屋が少し暗くてよかった。
明るかったら、逃げ出してしまいそうなくらい、頬が熱い。
きっと、今、すごくみっともない顔をしてる。

「・・・かわいい、とか、言うからびっくりした」
「え?・・・ああ、うん・・・おれ、あんまり言わないよな・・・」
「だから、その・・・なんか、嬉しくて」
「・・・・・・そ、そうか。でも、まりんは可愛いっていうよりは美人な方だよな」
「そういう問題じゃなくてっっ」

もう、聖夜君はなんでそうなるのかな・・・っ。
それに、美人、とか・・・そういうことをいって欲しいわけじゃないのよ。
女の子はね、ただ、好きな人が言ってくれたその一言が、嬉しくて仕方ないっていうだけなの。
かわいいって言われて、こんなにドキドキする日がくるなんて思わなかった。

「・・・もしかして、高木さんと昼間会ってた?」
「え?何で?」
「髪、違うから」
「あ・・・うん。巻いてくれたの。ウェーブヘアなんて自分じゃできないもんね、わかっちゃうか」
「見慣れないから、実は一瞬わからなかった」

ふわっと、聖夜君があたしの長い髪をすくう。
綾ちゃんが巻いてくれた髪はふわふわに波打っていて、普段ストレートヘアのあたしには珍しい髪型。
クリスマスはふわふわに可愛くね!って言って巻いてくれたんだ。
男の子はこういうふわふわな女の子に弱いって雑誌に書いてあった!とも。

「・・・聖夜君は、どっちが好き?」
「え?髪型のこと?」
「うん」
「別にこだわりはないけど・・・・・・でも、まっすぐな方がまりんらしくていいと思う」
「そっか」
「あ!いや!似合ってないとか言ってるわけじゃないからな?! その、どちらかといえば、という話で、オシャレが悪いとかじゃないし・・・って、何言ってるんだ、おれ・・・」

聖夜君がガシガシと自分の頭をかいて言った。
思わず、くすくすと笑ってしまう。

「いいよ、わかった。ありがとう」
「〜〜〜〜〜〜」

照れ隠しするかのように、聖夜君があたしの肩を引き寄せた。
聖夜君はいつもそう。
照れるとそっぽ向いたり、反対を向いたり、顔を見られないようにって隠すの。
でも、そんなところが聖夜君らしいなって思える。
それでもね、ちゃんとするときにはまっすぐに目を見てくれること、知ってるよ。