いつもの場所。
放課後の読書時間。
あたしは、本を鞄の横に置いて、持ってきた真っ白のノートに文字を綴り始める。
今日見た夢を書き留めておきたくて。
夢っていつまでも覚えていられないの。
断片的なことは覚えているのに、どうしても忘れていってしまう。
それは、夢というものが一瞬の出来事だかららしいけれど、あたしにはそう思えなかった。
だから、それを書き留めておきたかったの。
あんなにファンタジーな世界、他の本にはない。
ああ、なんだか物語が出来そう。
そんなことを思って、今朝見た夢を必死にたどりながら文字にしていく。



「おい」

ふいにかけられた声に驚いてバッと顔を上げた。

「え、あ、聖夜君・・・」

目の前には画材道具一式を持った聖夜君が、あきれた顔をしながら仁王立ちしていた。
い、いつからいたんだろう・・・全然気がつかなかった・・・。

「お、おはよう、聖夜君」
「『おはよう』じゃねーだろっ!昨日ぶっ倒れた病人が、なんで今日ここにいんだよ!」
「え?別に、熱も下がったし・・・他に症状ないし・・・大丈夫っ、薬は飲んでるよ」
「そういう問題じゃねーだろ・・・」
「?」
「ったく・・・おまえ、鈍感だな」
「え?え?」
「はあ・・・」

ひとつ、ため息をつくと、聖夜君はスケッチ定位置に画材を置いた。

「・・・ごめんなさい、心配してくれたんだよね?」
「・・・・・・」

つかつかとあたしのところまで歩いてくると、手に持っていたジャージの上着を、ふぁさっとあたしの肩にかけた。

「えっ」

あたしが何かを言う前に、聖夜君は元の位置まで戻って座り込んだ。
夏…だし、寒くないんだけどな・・・?

「着てろ、病み上がりなんだから。・・・部活用だから絵の具臭いかもだけど」
「・・・・・・ありがとう」

ありがとう・・・。
優しいんだね・・・。
昨日の今日で来ているあたしも悪いと思うけど、来て良かったななんて思えちゃう。
無性に嬉しくなる。
絵の具の匂いがするジャージは、ところどころに絵の具が付いている。
あたしの肩よりも大きい肩幅のジャージは、男の子のモノなんだというのがわかって、ちょっと恥ずかしくもなった。

「で?」
「え、何?」
「何書いてるんだ?宿題ならここでやるより・・・」
「ち、違うの」
「すげー夢中だったじゃん。おれが来たのに気づかないくらい」
「あのね。今朝、夢を見たの」
「夢?」
「そう。とってもファンタジーな夢。なんか綺麗だったから、覚えておきたくて・・・。 あたし、聖夜君みたいに絵が描けるわけじゃないから、これしか方法が思い浮かばなくて」
「・・・へえ・・・」

絵が描けたら、あの風景を絵にするのに。
そう思った。
でも、あたしの描く絵はお世辞にも上手いものじゃない。
言葉にするしか、あたしには思いつかなかったんだもの。

「見せてよ」
「・・・え?」
「それ、読ましてよ」
「で、でも」
「いいだろ?おまえだって、おれの絵見てるんだから」
「ぐ・・・。ちょっと待って、あと1行だから」
「ああ」

最後の1行を書いて、聖夜君にノートを渡した。
やだ・・・なんか、ドキドキする。
自分が書いた文章を読んでもらうなんて・・・国語の時間の作文くらいしかない・・・!

「へぇ・・・すごいファンタジックな夢だったんだな」
「う、うん。とっても綺麗だったの。なんだか物語が出来そうなくらいに」
「じゃあ、作ればいい」
「え・・・」

な、にを言ってるの・・・?
作ればいいって・・・。

「本、好きなんだろう?じゃあ、書くことくらい出来るんじゃん。これ、いいと思うけど」
「・・・でも、あたし・・・そんなこと」
「出来ない?そう言ってる間は出来ないって。ここまでやったんだから、書けよ」
「・・・・・・」

ノートを返してもらう。
たった、1ページの小さな物語。
夢のお話。

「想像することは自由なんだし、おれは読みたいな」
「・・・これを?」
「おれもそーゆーの、好きだから」
「・・・うん・・・あたしも・・・好き」
「じゃあ、約束。出来上がったら見せて」
「や、約束ぅ?!」
「そしたら、1枚絵描いてやるから」
「・・・じゃあ、その絵、あたしにくれる?」
「いいよ」
「わかった・・・約束、ね」
「ああ」

スケッチブックを広げた聖夜君が、ニッと笑った。
思わず、その表情にドキッとする。
あんな顔…見たことなかった・・・!

「と、とりあえず部活ねっ。聖夜君もっ」
「そうだな」

わたわたしながら、あたしはノートとシャーペンを鞄にしまって、置いてあった分厚い本を手に取った。
何だろう、何だろうっ・・・。
やけにドキドキする。
物語を書くと約束してしまったことも、 笑った聖夜君の表情にも、 ドキドキする。
な、慣れないことしちゃいけないわね・・・!
本に挟んでいたしおりを目印に、本を開く。
ああ、ダメだ・・・集中できない。
ちょっと、落ち着いてから・・・読もう。

聖夜君の方を見ると、切り替え早く、聖夜君はもうスケッチブックに筆を置いていた。
真剣な眼差しが紙だけに向けられている。
すごいな・・・その集中力、見習いたいなぁ・・・。
数回、静かに深呼吸して、心を落ち着けてから本の世界へと落ちていった。








キーンコーン・・・。
部活動終了のチャイムにハッとして、本にしおりを挟んで閉じた。
分厚い本はなかなか進まない。
今日なんて特に進みが遅い・・・。
ダメだなぁ・・・夢が気になって仕方なかったんだもの・・・。
貸してもらったジャージを綺麗にたたむ。

「聖夜君」
「何?」
「ジャージ、ありがとう」
「ああ、忘れてた」
「ごめんね、借りちゃって。制服汚れなかった?」
「別に平気。水彩だし」
「・・・そっか・・・」
「水海」
「ん?」
「これ」

スッと聖夜君がスケッチブックを差し出す。
・・・?
よく分からずに、差し出されたスケッチブックを受け取る。
くるっと描かれている方を手前に持ってくると、そこに描かれているのは、この校舎裏の風景じゃなかった。
柔らかいセピアの壁と道。
街頭が明々と輝いている。
奥に広がる花畑。
やわらかな色合いの夜空と月。
あたりに降っている、蛍のような緑色。

「・・・・・・」
「さっき、見せてもらったじゃん。そんな感じ、で、どう?」
「・・・・・・」

言葉にならなかった。
あたしが夢で見た風景を、もう一度見ているかのような・・・そんな錯覚・・・。
夢で見た風景とは違うけれど、違わない。
すごい・・・本当に・・・。
感動して、言葉が見つからない。
なんて言えばいい・・・?

「・・・水海?」
「どうして・・・」
「え?」
「驚いたの・・・あたしが、夢で見た風景みたいで・・・」
「マジで?」
「うん・・・すごい、ね・・・聖夜君って本当にすごい・・・」
「んなことない。てきとーに描いちゃったし」

持っていた絵の具を片付けながら、聖夜君が言う。
これが適当なら、聖夜君の本気って・・・どれだけなんだろう・・・。
だって、この真っ白だった紙に描かれた世界は、本当に綺麗で・・・夢みたいで・・・。
思わず食い入るように見つめてしまう。

「・・・かして」
「あ、ごめん」

独占していたスケッチブックを聖夜君に返す。
もっと見ていたかった、なんて欲張りなことを思いながら。
でも、たった1ページのあの文章から、あれだけのことを読み取ってくれた。
そのことがすごく嬉しくて、嬉しくてたまらない。
ビリリッと紙を破く音が聞こえる。

「ほら」
「・・・え?」
「やるよ」
「い、いいの?」
「別に、構わないし・・・」
「あ、ありがとうっ」

見せてくれたページを破いて、あたしに渡してくれた。
まだ、少し湿り気のある、できたてほやほやの1ページ。
夢の世界。
どうしよう・・・嬉しくて、顔が勝手に笑ってしまう。
やっぱり聖夜君は優しい人だなぁ・・・。


聖夜君にもらった絵を、あたしは部屋の壁に貼り付けてあるコルクボードにとめた。
見るたび見るたびに嬉しくて、あたしも書きたいと思えた。