「38度6分。ちゃんと自覚しなきゃだめじゃない」
「はい・・・」

保健室前であたしを降ろすと、聖夜君はさっさと理科室へと行ってしまった。
綾ちゃんは、あたしと一緒にいてくれてる。

「とりあえず、寝てなさい。高木さん、音楽の木下先生にコレ渡して。担任の先生にはこっちから連絡しておくから」
「はーい。っということで、まりん。おとなしく寝てなね!」
「・・・うん」
「じゃ、また。先生、まりんのことよろしくお願いしますー」
「ハイハイ」

そう言うと、綾ちゃんは保健の真中先生から紙を受け取って、さっと保健室を後にした。
あたしは指定されたベッドに、もそもそと潜り込む。

「水海さん、お家には誰かいらっしゃる?」
「・・・いえ、共働きなので・・・」
「そう・・・まあ、今日はもうあと1時間でおしまいだし、高木さんに送ってもらいましょうか」
「はい・・・」
「ということで、ちょっと眠りなさい」

そう言うと、先生はシャッとカーテンをひいた。
閉ざされた空間。
しんとした空気。
さっきまで騒がしかったから・・・なんだかとても静かで・・・寂しくなる。
聖夜君に迷惑かけちゃたな・・・。
今度会ったら、お礼言って・・・謝らなきゃ・・・。




「さん・・・水海さん」
「・・・せんせ・・・」
「起きて。放課後よ」
「あ、はい・・・」

先生に起こされて、ゆっくりと起き上がった。
時間感覚がおかしい・・・もう放課後なの・・・?

「あ、まりん!荷物まとめてきたよっ」
「綾ちゃん・・・」
「あーあー、髪ぼっさぼさ。ちょっとそこ座って。直すから」
「はあい」

すでに、保健室にあたしの鞄と自分の鞄を持った綾ちゃんが待機していた。
いつものように笑って、あたしの髪がぼさぼさだと言い、椅子を指定する。
綾ちゃんはいつもと変わらないんだね。
ベッドから抜け出して、綾ちゃんの指定した椅子に座った。

「まりんの髪は長いから、寝ると大変でしょ」
「いつもからまっちゃって」
「水海さんの髪って、いつも高木さんがやってるの?」
「はーい。いつもいじらせてもらってるんです。長いからやりがいがあって」
「なるほどね」

自分の鞄から、いつもの化粧ポーチを取り出して、綾ちゃんがあたしの髪をブラッシングする。

「校則違反にならないように、気をつけなさいよ」
「わかってまーす」

くすくす笑いながら真中先生が言った。
そうやってさらっと見逃してくれるところ、人気なんだよね。


「失礼します」

コンコンというノックと共に、聞こえてきた声。
「はーい」と軽く返事をする先生。
姿を現したのは聖夜君だった。

「せっ」
「よ、水海。なんだ、元気じゃん」
「コラコラ、これでも病人よ、空井君」

綾ちゃんがくすくす笑いながら言う。

「あら、空井君。お見舞い?」
「あ、いや、まあ・・・」
「ちょうどいいわ。高木さん、空井君、水海さんのこと、家まで送っていってあげてくれないかしら?」
「え?あ、まあ・・・いいですけど」
「よしっ、人材確保。ちゃーんと送ってあげてよ?帰ってません、なんて電話がこないようにね」
「おれって、そんなに信用ないですか・・・?」
「まさか。冗談よ。さて、できたかしら?高木さん」
「バッチリです。空井君、お待たせ」
「いや、待つも何も、今きたところだけど・・・」
「ふふふー。いいからいいからっ」
「ご、ごめんね、聖夜君・・・」
「いいって。ほら、行くぞ」
「じゃ、よろしくね。ちゃんとゆっくり治しなさいね、水海さん」
「はい。ありがとうございました」


聖夜君と綾ちゃんと保健室を後にして、ゆっくりと帰り道を進んだ。
なんだか、とても、不思議な組み合わせ・・・。
聖夜君と、あの見晴台と校舎裏以外で会うことなんてなかったから・・・とても・・・不思議。




「綾ちゃん、今日って習い事の日じゃなかった・・・?」
「えへへー、そうなんだけどねー。まあ、ギリギリで間に合うかもだし」
「それなら、おれが水海のこと送ってくよ」
「え?あーでも、道・・・」
「別に、水海に聞けばいいことだし。習い事にギリギリなんていいのか?」
「えーあー・・・じゃあ、お願いしようかな。ごめんねっ」
「いいよ、綾ちゃん。礼儀作法が大事なんだもんね」
「そーなの。じゃあ、先に帰らせてもらうね。空井君、まりんのことよろしく!」
「ああ」

そう言うと、綾ちゃんは持ってくれていたあたしの鞄を聖夜君に渡して、手を振って十字路を反対方向に曲がっていった。
今日が習い事の日だって、あたしは知ってる。
あたしを送ってくっていうだけで、遅刻させちゃ行けないもの。

「あ、ごめんね、鞄・・・」
「いい。持つ」
「・・・ありがとう。綾ちゃんの習い事って、お茶とお花なの」
「へえ・・・そうは見えない」
「おばあちゃんが師範だから、強制的に、なんだって」
「なるほど」



それから家まで、聖夜君とふたりきり。
ぽつぽつと話もしながら、歩いた。
家まで徒歩15分なのに、今日は、なんだかとても長い気がする。
歩く速度のせいだけじゃないよね・・・。



「送ってくれてありがとう。それから、あの、ごめんなさい」
「?」
「その・・・保健室まで運んで・・・。重かったでしょう?」
「別に・・・おれが勝手にやったんだし、気にするな」
「・・・ありがとう」
「ちゃんと休めよ」

そう言うと、軽くあたしの頭をなでてから、くるっと向きを変えた。

「あの、帰り道・・・」
「へーき。鳥籠カフェ行くから。さっき知ってる道通った」
「・・・うん」
「じゃあな」

それだけ言うと、軽く振り返ってから来た道を戻り始めた。
・・・・・・不思議な人。
笑ってくれないのに、言葉だってそっけないのに、とても優しい・・・。
何でだろう・・・聖夜君って・・・にくめない人だな・・・。
あんなに素敵な絵を描く人だもん。
きっと、中身はとても優しいんだろうな・・・。




その日の夜は不思議な夢を見た。
とても幻想的な夢。
ふわふわと舞う光。
古いイギリス映画のような街並み。
ガス灯が煌々と燃える石畳の道を、あたしはひたすら歩いていた。
ふと目の前に広がる花畑。
ざあっと舞い上がる七色の蝶。
星々が輝き、月が大きく黄色く輝き、花もふわりとした光を放っていた。
耳を澄ますと、波の寄せる音が聞こえる。
まるでおとぎ話みたいな場所。
くすくす笑う妖精、ふわっと舞い降りるペガサス、いつの間にか、花の精があたしをダンスに誘う。
連れられて花畑を進むと、ひとりの少年が立っていて、何か言うの。
顔も声も覚えていないけれど、差し出された手はあたたかかった。
なんだか、目が覚めて、とても不思議な気分になった。
こっちが本当じゃなくて、あっちが本当のような・・・。
でも、それは夢だった。