静寂が訪れる夜。
さすがに一歩も外に出ない一日は退屈で仕方なくて、散歩に出た。
この時間なら星は天体観測をしているだろし、そんなに明るくないから大丈夫。
テントにさえ近づかなければ安心。
・・・と思っていたのに、神様はいじわるだった。

「雫?」

前方から声がして、姿を見せたのは星だった。
満月の今夜はいつもよりも明るく地上を照らしてる。月明かりが水面に反射して、よけいに明るさを感じた。 ・・・神様、今日は晴れにしてくれなくてもよかったのに・・・。

「せ、星・・・」
「どうしたんだよ、今日、来なかっただろ」
「ちょ、ちょっと・・・ね。星こそ、こんな時間に珍しいね。天体観測は?」

声が震える。動揺しなければ昨日の事なんて誤魔化せるのに・・・。

「雫に・・・会いにきたんだ」
「え?」

まさか、昨日のこと・・・を・・・?

「今までありがとうな。俺、明日帰るよ」
「え・・・」
「ほら、いちおー受験生だしさ。大学受験の勉強しないといけないし」
「そ、そっか・・・」

帰っちゃう・・・星が帰っちゃう・・・。

「・・・雫」
「ん?」
「ちょっと、話さないか?」
「う、うん・・・」

湖のほとりに、ふたりで腰掛ける。話すって・・・一体なんなんだろう・・・。
昨日のことがちらついて、落ち着かない。
いつその話を切り出されるのかと思うとびくびくする。
“人間に知られたら泡になる”なんてことはないんだけど・・・。

「俺さ、自分で言うのもなんだけど、けっこーメルヘンチックなところあるだろ?」
「・・・・・・」
「父さんが忙しくてさ、ばーちゃんっ子だったんだ。 ばーちゃんは童話とか大好きでさ、よく絵本とか読んでもらったし アンデルセン童話とかの分厚い本とか誕生日にくれてさー。それが素直に嬉しかったんだよ、俺。 ギリシャ神話も好きだし、旧約聖書とかも読んでみたりしたし、とにかく非現実的なところに憧れてたわけ。 だから天体観測とかして、地球じゃないほかの星に興味もったりしてさ・・・。 ばーちゃんはもう死んじまったけど、ばーちゃんから教えられたものってすごい大きいんだ」
「・・・・・・」

どうして、こんな話を・・・?
星の顔を見ながら、そう言いかけて口をつぐんだ。

「だからさ、けっこう非現実的なものって信じてるんだ。 妖精とか天使とか人魚とか」

最後の一言に心臓がドキッと跳ね上がる。
きっと、星は私の本当の姿を見たんだ。だから、こんな話をしてくれてるんだ・・・。 私の本当の姿を否定しないために・・・。

「雫はどう思う?」
「・・・・・・でしょ・・・」
「え?」
「昨日・・・私のこと・・・見たでしょ?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

“見たよ”って一言いってくれればふっきれるのにっ・・・どうして何も言ってくれないの・・・?

「雫」
「・・・・・・」
「俺、大事な話、し忘れてた」
「え」
「俺、雫のこと好きだよ」
「っ・・・」
「だから・・・」
「見たんでしょ!?私のこと!本当の私、見たんでしょ!?」
「し・・・ずく・・・?」

スッと立ち上がると、湖に飛び込んだ。

「雫ッ!!」

すうっと脚はしっぽに変わる。服も着ていない。
私は人魚の姿に戻る。

「この姿、見たでしょ!?だからそんな話してくれたんでしょ?私、人間じゃないんだよっ」
「別に・・・わかってて言ってる」

さらりと星が言い放った。
わかってるのに・・・私のこと・・・気持ち悪いとか言わないの・・・?
ざぶざぶ。
星が湖に入ってきた。
すうっと無意識のうちに沖へと後ずさりする。

「初めて会ったとき、人魚かと思ったって言ったの、嘘じゃない。 でも、まさかって思ったから・・・。昨日見て、やっぱりそうだったのかって、それだけだ」
「でもっ・・・私っ・・・」

星が立ち止まる。それ以上行くと、脚が着かなくなるから。

「別に、人魚だろうが何だろうが関係ない。雫は雫だろ? 人間の姿が雫じゃないなら、話は別だけど、姿が変わったって雫は雫なんだろ? だったら、俺は別に構わない。人魚も天使も妖精も信じてるから」
「星・・・」

私が私であるなら構わない・・・?
姿形は・・・気にしないってこと・・・?
そりゃ、人間だろうが人魚だろうが、私が私でなくなる訳じゃないけど、 本当にそれでいいの?私のこと・・・好きでいてくれるの・・・?
すいっと星の近くまで泳いでいく。
そっと、星の手が私の頬に触れた。

「雫のことが好きだ」
「・・・こんな姿でも・・・?」
「ああ」
「ヒトじゃなくても・・・?」
「ああ」

つうっと涙が伝う。
なんて、心の広い人なの・・・。

「私・・・私も・・・星のことが好き・・・よ」
「雫っ・・・」
「でも、こんな私・・・好きになんてなってもらえないと思ってっ・・・」

ぎゅうっと抱きしめられた。

「好きだよ・・・人魚でも人間でも・・・どっちも好き」
「星〜〜〜・・・」

ぽろぽろと涙が伝う。

「人魚の涙だ」

こぼれ落ちる人魚の涙は、とてもパールのような輝きを持つ水。
本物の、純血の人魚の涙は地上では真珠になると聞いているけれど、私は混血だから・・・。

「泣くなよ」
「だって・・・」

そっと、星が涙をぬぐってくれた。
優しくて大きくて、あたたかい手。
そして、満天の星空の下で、やさしく口づけを交わした。



タタン・・・タタン・・・。
電車が街へと私を運ぶ。夏の終わり。
星とはしばらく会えなくなるけど・・・大丈夫。
人魚は恋をとても大切にするから。
そう、人魚姫のように・・・。
星は私の住む街にある大学を受験するんだって。天文学を扱っている大学が地元にはないらしい。 受かったら、いつでも会えるようになるね。

海の見える街にもどってきた。
海に行きたいって思っても、これからは大丈夫ね。
おばあ様の口癖だった。反発して海に行きたいってだだこねたこともあった。
でも、今は違うわ。
いつか出会うだろう私の子供にも孫にも曾孫にも言ってあげよう。教えてあげよう。この言葉を。

― 海が恋しくなったら森へ行きなさい ―


** Fin **