「じゃあ、初詣はOKだって?」
「うん」
翌日の25日、午後に鳥籠カフェ…正確には聖夜君のアトリエにお邪魔した。
昨日とは打って変わって、カフェは冬の日差しにあふれてて、木のぬくもりが伝わってきて、
暖められた空気がほわっと包み込んでいて、ふんわり漂う紅茶のにおいが優しくて、同じ場所なのに違うなあって思ってしまった。
あんなに、ひんやりしていたのに、不思議だね。
アトリエも暖められていて、やさしかった。
昨日は…………お、思い出すと恥ずかしいからやめておこう。
「あとね、聖夜君のことも話したの」
「え」
「あたし、言ってなかったから」
「そうか…んー、そっかー…」
「?」
「…じゃあ、初詣行く時は迎えに行く」
「え?別にいいよ、待ち合わせでも…遠いでしょ?」
「いや…ついでに挨拶させてよ」
「…そう…」
「時間とかは兄さんたちと決めて連絡するな」
「お願いします」
窓辺に置かれた小さな丸椅子に腰掛けて、持ってきた本を開く。
聖夜君の邪魔はしたくないから、あたしもこうやって過ごすことが、定番の場所。
なんだか、あの、夏の裏庭みたいだなって思っちゃう。
あたしはずっと本を読んでて、聖夜君は絵を描いてるの。
何を言うわけでもなく、ただ、それだけ。
でも、それが一番、あたしたちらしいな、とも思うんだよ。
「…まりん、20分でいい。ちょっとそこにいて」
「え?何、どうしたの?」
「ちょっと人物デッサンつきあって」
「っ…それって、モデルしろってこと?」
「人物デッサンだって。そこで本読んでてくれるだけでかまわないからさ」
「そ、それなら声かけなくてもいいじゃない…」
「一応断っておこうと思っただけ。おれのことは気にしないで」
「……」
今までさんざん、勝手に描いたくせに…。
何も言われなければ、あたし、20分なんて普通に本読んでたのに…そう言われるとやけに意識しちゃう。
だって、今から20分、あたしを見てるって言ってるようなものじゃない…!
聖夜君は握っていた筆を鉛筆に持ち帰ると、大きめのクロッキー帳をさっと取り出して、
キャンバスの前ではなく、あたしが見える位置に移動した。
「…なんか、はずかしい」
「どうして」
「こんな、見られてるって思ったこと、ないから」
「ふうん…」
曖昧な返事をしながら、聖夜君が紙に鉛筆を走らせ始める。
うう…あたし、この状況、どうすればいいの…っ。
聖夜君が言うみたいに、この手の中にある本の世界に逃げられたら、どれだけいいか…!
とても、そんな状況じゃないよー。
今読み始めても、きっと全然内容が入らないに決まってるもん。
ちらりとあたしを見ては、クロッキー帳に目を落とす。
そんな動作を繰り返している聖夜君をしばらく見つめてしまってた。
「…そっちだって見てるじゃん」
「う…だって、こんな状況で本とか読めないよ」
「だから、おれのことは気にするなって言ったのに」
「無理だよ!それなら描くって言わないで」
「…おれとしてはさ」
ふいに、聖夜君がクロッキー帳から目を離した。
「描いてるときの方が、おまえを見てないよ」
「……?」
「普段の方が見てるって事」
「っ…」
それだけ言うと、また鉛筆を動かし始める。
それはつまり、えっと……知らないうちに見られてたの!?
今度はなかなか顔を上げない聖夜君。
…そっか…照れてるんだ。
なんだかその様子がちょっと微笑ましくて、口の端で笑ってしまう。
聖夜君って、ほんと、言うこと言うのに、そのあとに照れるんだよね。
「…なに笑ってるんだ」
「ううん、なんでもない」
「そういえば、おまえ、夏の約束はどうなってるんだ」
「約束?」
「話、書くって」
「う…その…そのうち見せます…」
「そのうち?」
「二年生の間には」
「先の長い話だ。その分、楽しみにしておく」
「ああああの、そんな大したものじゃないから!」
「それはそれ。その前に、完成させることが第一。絵もそうなんだよ。未完成じゃなんにもならない」
「……努力します…」
“夏の約束”
それは、あたしが物語を書くということ。
書いたら見せるっていう約束。
少しずつ、これでも書きためているんだけど…最近はそれどころじゃなかったなあ…。
うん、聖夜君を見習って、冬休みは頑張ろう。
“未完成じゃなんにもならない”
その通りだもんね。
絵も、物語も、未完はつまらないし、もったいないわ。
それからしばらくの間、ストーブが燃える音と、聖夜君が紙に鉛筆を走らせる音だけが響いた。
真剣な瞳が、あたしとクロッキー帳を行き来する。
それが少しくすぐったくて、嬉しくて、はずかしくて…手元にある本を開くことなく、そわそわしてしまった。
「デート中のところ悪いんだけど」
突然、コンコンっというノック音とともに、銀河さんの声が響いた。
「銀河さん!」
「まりんちゃん、いらっしゃい」
「何?兄さん」
「……えーと、モデルでもしてるの?」
「人物デッサン」
「付き合わせてごめんねー、まりんちゃん」
「それで、用件は?」
「ちょうど今、美沙子も来たんだ。初詣の件、せっかくだから4人で話そうと思って」
「美沙お姉ちゃん、来てるんですか?」
「うん、下にいるよ。聖夜、あとどれくらい?」
「さあ…5分ちょいくらいかな」
「わかった。じゃあ、終わったら二人とも下に来てよ」
「はあい!」
「りょーかい」
それだけ言うと、銀河さんはにっこり笑って戻っていった。
デート…か…。
これって、デートになる、のかな?
「…ねえ、聖夜君」
「何?」
「これって、デートなの?」
「……考えたことなかった」
「あたしも」
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるんじゃないのか」
「うーん…あたしたち、夏からずっとこうやって会ってたから…わかんないね」
「デートというものが特別な物なら、これはデートじゃないんじゃないか?」
「特別?」
「特別にふたりで出かけたりすることを言うんだろ?昨日みたいな」
「そう、なのかな」
「さあ、よくわからない。でもさ」
よし、と小さくつぶやくと、聖夜君はパタンとクロッキー帳を閉じた。
「こうしておまえといるのは、特別ってわけじゃない。そう思うんだけど、違うか?」
「……そうだね」
絵を描いている聖夜君。
その近くで本を読むあたし。
それは、特別なことじゃなくて、もう自然なことになってる。
二人でここで会う事も、特別なことではない。
「さてと、一段落したから、兄さんたちと合流しよう」
「ねえ、それ見せてくれないの?」
「あとで!今は待たせてる方が先だっ」
「照れなくても」
「照れてないから!ほら、行くぞ」
「あとでね!絶対だよ?」
「わかったって」
そう言いながら、聖夜君が扉を開けた。
動くな、と指定されていた椅子から立ち上がって、扉へと向かう。
特別な場所じゃない。
特別な時間じゃない。
でもね、こうして二人でいる時間は、やっぱり特別だと思うんだよ。
「聖夜君ー?まりんー?終わった?」
「今行きます!」
美沙お姉ちゃんの声に急かされながら、カフェへ続く階段を下っていった。
** Fin **
|