「歌音様、歌音様!おはようございます。起きて下さいまし」
キビキビとした声が飛び込んできて、ハッと目を覚ました。
入り口付近に目を向けると、わたしたち姉妹の幼少期のお世話係だった桐がピシッとした姿勢を保ったままこちらを見つめていた。
・・・いえ、にらんでいた?
「お、おはよう、桐・・・久しぶりね」
「おはようございます」
そう言って丁寧に深々と礼をする。
桐はお世話係だったけど、同時に教育係でもあった。
わたしたち姉妹は彼女に色々と叩き込まれて育ったといってもいいわね。
萌音と愛音が生まれてからは、会う事もあまりなかったけれど・・・。
「えっと、どうした、の?」
「どうしたもこうしたもありません。朝食のお時間です」
「・・・・・・早くない?」
時計を見てみると、午前6時前だった。
ぴりっとした雰囲気を保ったまま、桐が小さくため息をついた。
「本日は結婚式典です。お支度に時間がかかりますのでスケジュールよりお早めに行動なさってください」
「・・・わかったわ。ありがとう」
「いいえ」
いい人なんだけど・・・桐はこの冷静さが厳しくも捕らえられてしまう。
わたしも小さい頃は苦手だったな・・・。
わたしがベッドから起き上がるのを確認すると、桐はくるりと入り口に向かって方向転換した。
「それと」
「な、なにか?」
「・・・ご結婚、おめでとうございます、歌音様」
「あ・・・ありがとう、桐」
「それでは」
そう言うと桐は部屋から退出した。
・・・なるほど、それを言うためにわざわざわたしを起こしに行く係を買って出てくれたのね。
不器用な優しさも変わらないわね・・・。
わたしに直接言える機会はそう多くないものね。
「さーて、今日は忙しくなるわね」
うーんとひとつ伸びをして、今日のタイムスケジュール表を見直してから、食堂へと向かった。
「歌音!どう?着れた?」
午前十時すぎ。
ひょっこりと控えの衣装部屋に顔を出したのは雫と真珠だった。
すでに用意をすませ、少し着飾った真珠と雫がいそいそと「おじゃましまーす」と入ってきて、
鏡の前のわたしの元までやってくると、まじまじとわたしのドレス姿をのぞき込んだ。
まるで人間界での結婚式の時のように。
「おお!イイカンジじゃない!!」
「こっちでも結構手を加えてくれたのね」
「ええ。こちらの衣装にも合わせたかったの。せっかくデザインしてもらったのにごめんなさい。でも、なかなかでしょう?」
「うんうん、綺麗だよー」
「手を加えてねって言ったのはこっちだし、気にしないで」
「真珠と雫も、似合うわね」
「あ、えへへー、色々貸してくれてありがと。こっちのおしゃれってどうすればいいのかわからなかったから、
だいぶ萌音ちゃんと愛音ちゃんに助けて貰ったんだ」
「人間界じゃ人魚姿でおしゃれすることなんかないもんね」
「そうよね。人魚姿は内緒ですものね」
「式典は十時半開始だったよね。湊には会ったの?」
「あっちはあっちで準備中よ。終わったらこっちに来ることになってるけれど」
「なるほど。あ、邪魔してごめんなさい、続けて続けて!」
ふたりの乱入により手を止めて横に控えていた衣装準備係の者たちが「では」と小さく頷いてわたしの髪をいじりはじめた。
今日の衣装は人間界でもらったウエディングドレスを加工したもの。
人魚用に、とデザインし直してくれたものに、こちらでさらに手を加えてある。
結婚式典用の衣装というものが存在していないから、自由にできるのはいいんだけれど、
おかげで紫音姉様と波音姉様がはりきっちゃって、だいぶ豪華になった気がするわ。
腰のところに花飾りのような加工をしてくれてあったんだけれど、わたしの髪で隠れてしまうから、と切ってしまったのだけが残念ね。
首元にはパールのネックレス。
イヤリングは真珠がくれたものに少し加工させてもらっている。
他にもしっぽや手首にも飾りをつけている。
宝石類はわたしのテーマカラーのひとつでもある紫。
こんなに着飾ると、普段が身軽な分重く感じるわね。
でも、人間界式のものも取り入れると言ったのはわたしだもの。
それに、大変だけど、わたしだって着飾るのは嫌いじゃないわ。
「ねえ、歌音。このストールは何?」
雫が鏡台の側に置かれているものを指さして言った。
そこに置かれていたのは一枚の宝石がついたストール。
半透明に透けてキラキラと輝いている。
「それはね・・・ええと・・・なんて言えばいいのかしら・・・王族の正装みたいなものなのよ」
「王族の正装?」
「王族に生まれたものに、ひとりひとつ与えられる衣装なの。みんな形が違うのよ」
「全員に?みんな違うデザインで?」
「さすがに歴代まで・・・とは言わないわ。わたしはストールなの」
「すごい、キラキラ光るヴェールみたいね・・・それに宝石・・・」
「テーマカラーみたいなものよ。わたしはしっぽと同じ、ピンク色」
「なるほどねー。王族個人に用意される正装か」
「そうね。それに合わせたくてドレスをいじらせてもらった所もあるのよ」
「理解したわ。正式な式典に正装の品を取り入れないわけにはいかないものね」
このストールはわたしがわたしである証でもある。
王族に生まれた歌音だという証拠。
海音姉様はケープ。
紫音姉様は首飾り。
波音姉様は手首飾り。
わたしがストール。
萌音と愛音が髪飾り。
父様はわたしのストールと似たような形だったかしら。
それぞれ形は違うけれど、みんな素材とテーマは同じ。
正式な式典や行事には必ず身にまとうことが義務づけられている。
それは、結婚式典といえど変わらないわ。
「おーい、こっち終わった?」
ふいに入り口から声がして、ひょこっとあくあが顔を出した。
「あくあ、おはよう。ごめんなさい、もうちょっとよ。湊は?」
「おはよ。もちろん、湊もいるよ」
「歌音、おはよう」
「お、おはよう、湊」
その一言にドキンと思わず胸が高鳴る。
湊のほうの準備は終わったのね。
わたしの衣装を湊が知らないように、わたしも湊がどんな衣装なのかを知らない。
おかしいわね、人間界で結婚式をしてるのに、なんだかドキドキする。
「歌音様、ひとまずこれで準備は完了です」
「お疲れ様でした」
「ありがとう」
衣装係の子たちがぺこりと挨拶をすると、片付けのためか部屋の奥にある控え室へと消えた。
それと入れ替わるようにあくあと湊が部屋へと入ってくる。
そして、雫と真珠が来たときと同じように、わたしのことをまじまじと見つめた。
「・・・うん、綺麗だな」
「そう、かしら」
「人間界で使ったドレス、作り直したんだろう?まあ・・・あっちとはだいぶ違ってるけど・・・いいと思うよ」
「よかった。湊も、よく似合うわ」
「お世辞はよしてくれ。ほんと、こーゆーの柄じゃないんだってわかってるから」
「あら、お世辞じゃないわ。でも・・・そうね、湊っぽくはないわね」
「王様の見てたから、見慣れてると思ったんだけどなあ・・・よく考えれば、王族は王女様方だけだから、王子衣装って見たことなかったんだ」
「父様はまた少し違うものね」
「こんな色々ついてないしな」
男性は女性よりも着飾るものが少ないとはいえ、やはり違ってみえるわね。
普段はあまり気にしていないだろう髪型もちゃんとセットされている。
腕と手首、それにしっぽには赤い宝石の光る金属製のシンプルなアクセサリー。
ここまでは一般でもやってる人はいたりするけれど、王族の正式な衣装となるとそうはいかないわ。
肩からは長丈のマント。(父様いわく、これを翻さないように泳ぐのは大変なんですって)
耳元にもアクセサリーがある。
似合っていないわけではないけれど・・・やっぱり違和感はあるわね。
見慣れないせいかしら。
「あ!真珠さんたちいたー!そろそろ席につく時間ですよっ」
「みなさんも」
バタバタと萌音と愛音が入り口に現れて、大きな声で言った。
ふたりもおめかししていて、ますます美人にみえた。
どうやら引き続き人間界からのお客様の案内役になっているみたいね。
かわいい妹たちにさっと軽く手を振ってあいさつする。
「萌音、愛音、おはよう」
「歌音姉様ーーーっっ」
「素敵ーーーっっ」
まるで真珠たちのことなど無視するように、バッとふたりがわたしの目の前に移動してきた。
は、はやい・・・。
ぴょこぴょことわたしのまわりを回りながら、幼い頃と変わりないキラキラした目でふたりがわたしを見る。
「きゃーきゃー、姉様綺麗!」
「わー、姉様が着るとこうなるのねーっ」
「えっと・・・ありがとう。でも、萌音、愛音、本題を忘れてるわよ」
「あ!そうでした!!」
「さ、みなさん、行きましょう!」
「お迎えありがと、萌音ちゃん愛音ちゃん」
まるで嵐のように現れて、ふたりはみんなを引き連れて去っていった。
時刻は開式の二十分前。
ぽつん、と湊とふたり残されてしまった。
「・・・相変わらずだな、萌音ちゃんも愛音ちゃんも」
「可愛い妹でしょ」
「そうだな」
ふと、最後のアクセサリーであるティアラが目について、そっと手に取った。
これは、透也君がわたしに、とくれたもの。
キラキラ輝く贈り物。
特別なひと品。
「・・・それ、透也がくれたやつだよな」
「ええ。綺麗よね」
「・・・貸して」
そう言って、湊はわたしの手からティアラをすくい上げた。
手に取ったティアラをじっと見つめて、くすりと少し苦笑いしてから
「つけてあげる」
そう言った。
その表情が少しさみしいような笑顔で、はっとする。
他の男性からの贈り物を結婚式で身につけようだなんて、浅はかだったかもしれない。
普通に考えたら、無神経だったと思う。
でも・・・でもね。
本当に、これは、違うのよ。
わたしの結婚式のためにと贈ってくれた。
祝福にと、贈ってくれた。
その透也君の気持ちを、わたしは信じたいし、信じてる。
湊もわかっていると思う。
この贈り物は、とても大切な、友人からの祝福なのよ。
「動かないで」
少しうつむいてしまったわたしに湊が声をかける。
その言葉に視線を上げた。
そっと、手にしたティアラをわたしの頭にのせ、しっかりと固定してくれた。
「・・・よし、できた。あっちの結婚式でも思ったけど、似合うよな、それ」
「そうかしら」
「さすが、とだけ言っておこうか」
「・・・?」
さすが・・・?
一体なにが・・・?
「もう少し時間があるな・・・」
「今頃、会場はばたばたしてると思うわ」
「そうだな」
結婚式をやる会場は、歌会でいつも使っている会場。
一番大きなメインホールだけれど、それでも客席の数には限りがあるため、今回は後ろに立ち見席エリアを設けている。
その分、警備が大幅に増えているし、招待客のみなさんの誘導にもかなりの手間暇を費やす事になる。
開場してから、開始までの時間がながくとられているのはそのため。
母様の結婚式以来執り行われていないため、王族の結婚式は約三十年ぶりということになる。
お祭りムードなのも仕方がないって悠斗君がいってたっけ・・・。
「・・・歌音、式に行く前にさ、ひとつ、いいかな」
「なに?」
「抱きしめさせて」
「・・・・・・どうぞ」
そっと、湊がわたしの腕を引き寄せ、身体をぎゅっと抱きしめた。
わたしもそっと、湊の背中に腕を回す。
いつもより、湊の鼓動が少し速いのが伝わってくる。
髪が乱れないよう、やさしく湊がわたしの髪をなでた。
「歌音、ありがとう」
「どうしてお礼を言うの?」
「どうしてかな・・・そうだな・・・強いて言えば、俺を選んでくれてありがとうってところかな」
「・・・・・・」
「こんな時に言うのもなんだけどさ、歌音を好きなヤツは他にもたくさんいたと思うんだ」
「そんなことないわ」
「そりゃ、王女様だし、本気で好きだった、なんてのは一握りだったと思うけど・・・
俺だけじゃないと思うし、実際そうなんだ。歌音は知らないだろうけどさ」
「・・・・・・・・・」
「だから、こうして隣にいられて・・・一緒になれるのは、ほんとに奇跡みたいだって」
「奇跡じゃないわ」
少し、湊を押しのけて二人の間に距離を作る。
顔をあげると、真剣な瞳の湊と視線がぶつかった。
奇跡じゃないわ。
全て、わたしが選んだことよ。
わたしのことを好きでいてくれた人がいたとしても、わたしの所まで届かなければどうしようもないことなのよ。
それにね、わたし、知ってるのよ。
貴方がとても女の子に人気があったって。
わたしがいない間に、たくさん告白されたってきいたわ。
その場にいたわけじゃないし、実際に湊が好きだって子に会ったことがあるわけでもない。
だから、わたしが何か言えたことではないけれど・・・。
姉様たちや友人達が言ってた。
“湊は歌音が好きだって周りにバレバレだった”って。
だから、好きだって言わなかった子がいた可能性もあるわ。
あなたが知らないうちに、あなたに伝えることを諦めた人もいたと思うわ。
湊が気がつかなかっただけ、選ばなかっただけなのよ。
貴方がわたしのことをずっと好きでいてくれたから、今、ここに、わたしがいる。
わたしが貴方を好きだと気付いたから、ここにいる。
ただ、それだけのことなのよ。
「湊、あなたがずっとわたしのことを好きでいてくれた。それこそ奇跡だわ。
わたしのことを王女としてでなく、女の子として見てくれた。好きになってくれた。ありがとう」
「・・・・・・歌音・・・」
「湊がそうやってわたしに接してくれてたから、きっと、好きになったの。奇跡じゃないわ」
「・・・じゃあ、長年の愛の成果、ということにしておくよ」
「そうね」
くすりと笑いあって、お互いの身体を離した。
わたしたちは幼なじみで、友人で、恋人。
そして、今日からは夫婦になる。
でもね、きっと、そんな関係を示す言葉は意味がないと思うの。
どんなに関係性が変わっても、わたしとあなたは変わらないでいられると思うわ。
幼なじみで、友人で、恋人で、夫婦。
家族が増えても、きっと・・・。
「失礼致します。歌音様、湊様、お時間です」
「ありがとう」
「了解」
案内役の人が迎えにきて、さっとわたしたちを案内すべく出口に整列する。
さあ、いよいよね。
結婚式典の開幕よ。
2014.08.10.
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